私がなぜスヌーピーコレクターになったのか その1
私がスヌーピーを好きになったのは小学生の頃ですね。
年齢がバレてしまいますが40年以上前から
ず~っとスヌーピーが好きなんです。
家の隣に2歳年上のお姉さんがいたのですが
彼女の真似を何でもしていました。
彼女がスヌーピーが好きだったのでまねっこしたのも
ありますし私が犬好きなのもあると思います。
その頃のキャラクター商品と言えばミッキーマウスなどの
ディズニーキャラクターにスヌーピーくらいしかなかった
ように覚えていますね。
ひとつ年上の従姉がミッキーマウスを集めていたので
私は重ならないようにスヌーピーを好きになったのかも
しれません。
のちにキティちゃんなどのサンリオキャラクターも続々と
登場してきました。
もちろんキティちゃんも買ったりしましたが
1番はいつもスヌーピーでしたよ♪
アメリカの商品のスヌーピーは国産品のキティに比べて
値段も高かったのを覚えています。
小学生にとっては100円~200円の違いでも
大きかったですね。
でもいつもスヌーピーを選んで集めていました。
2歳年上のそのお姉さんの家はお菓子やさんなのですが
スヌーピーのお菓子も沢山扱っていたので毎日のように
買い物に行っていました。
お姉さんのお菓子屋さんで買っていたお菓子の缶
電車で30分くらい行った隣町にサンリオショップや
ファンシーショップがあって毎週通っていましたね。
母が私のスヌーピー好きを知っていたので
食器のセットを買ってくれたのを覚えています。
その食器セットは今でもまだ持っています。
母に買ってもらった食器たち
同じ時に買ってもらった陶器製のオルゴールも
まだ健在ですよ。
小学生の高学年になると近所にファンシーショップが
出来たんです。
そこのおばさんが大好きで毎日のように通っていました。
入り浸っていたといっても過言ではないですね。
そこのファンシーショップでサンリオの本社を見学
できるっていうツアー企画があったんです。
抽選だったのですが見事当たりまして
五反田までワクワクしながら10人くらいで行った
覚えがあります。
ちょうどくるみ割り人形を製作しているときで
セットなども見学することができましたね。
好きなサンリオのイラストレーターにサインを
書いてもらうコーナーもありましたね。
キティのデザイナーで有名な山口裕子さんは
1980年からキティのデザインをしていますよね。
私が行ったときは1979年だったのでもしかしたら
山口さんとお会いしているかもしれません。
でも私はシュルツさんにはお会いできないので
キキララのデザイナーさんにサインを頂いたような
気がします。
ニコニコと笑顔がとてもやさしかったのを覚えています。
彼女たちはプロだな~と今改めて思い返しています。
その後、大きな会議室に通されて一人ひとり椅子に
座ってジュースだかお菓子を頂いたような記憶が
あります。
「今からいちごの王様がいらっしゃいます!」って
言われたから私はてっきりあのいちごの頭のかわいい
王様が登場するのかと思っていました。
でも背広を着た普通のおじさんが部屋に入って来たので
びっくりしてしまいました。
大人になって知ったのですが彼は辻信太郎氏で
サンリオの創業者だったんですよね。
いちごの王様は私たちの一人ひとりに優しく
サンリオの商品でこんなものがほしいって
思うものはありますか?と聞いていました。
私の番になると中学生だった私は少し
大人っぽいものが欲しくって
「スヌーピーの万年筆が欲しいです。」と言いました。
すると、いちごの王様は正直に
「スヌーピーはアメリカの製品だから難しいかも
しれないけど商品化に向けて頑張ってみます。」と
言ってくれたんです。
今思うとマーケティングの一環だったのだと思いますが
大人が子供の要望を真剣に聞いてくれたことがとても
嬉しかったです。
それから間もなくスヌーピーの万年筆がサンリオから
発売されたので私の意見が通ったとは思っていませんが
すごく嬉しかったのを覚えていますね。
~その2に続く~